何かの動物に似てませんか?そうです”カメです”亀石と言います!
2006年08月05日

こちらの石は亀石と言われる石です。見れば見るほど亀に見えてきませんか?でも何処にあるのか・・・?この石は伊勢市の外宮(豊受大神宮)にあるんです。でも見たことが無いと思われる方が多いと思います。だけど何回か外宮に参拝に行かれた方なら乗ったことはあるはず(笑)実は、この石は正宮から別宮に向かう途中の川に架けられた橋なのです。一枚の大きな岩で作られた橋・・・!その形が何となく亀に見えるので、いつしか亀石と呼ばれるようになったのです。この一枚岩、写真では分からないと思いますが、かなり大きなものです。ちなみに、ちゃんと尻尾もあるし足も4本あります。ただ私が撮影したのが頭か尻尾なのかは不明ですが、私は頭から撮影したつもりでいます。この岩は高倉山の頂上にある古墳の入り口の岩だったいう言い伝えも残っていますので、かなり古いものだと思われます。今度、外宮(豊受大神宮)に行く時は亀石を横から、しっかり見てきてくださいね。ただの岩ですけど大きな亀に見えますよ!
米山新田は伊勢市民なら誰もが知っている大切な場所です!
2006年06月25日

米山新田の石碑は偉大な功績を記したものです。伊勢市の円座周辺は宮川より高い位置にあるため距離的には近いのですが水利が悪く荒地が多かったそうです。江戸時代に円座の庄屋、米山家四世宗隆さんが全ての財産を投げ打って横輪川を堰き山を削り70余町(約7.6キロメートル)の水路を引きました。これにより円座は豊かな田園地帯になったのです。その後、水路の拡張や台風などの災害もあり米山家九世宗持さんは、その事業による借金返済の責を負って天保10年(1840)に自刃したそうです。この石碑は、その偉大な功績を称えて立てられた物です。私はこの時代に生きていないので分かりませんが、当時米山さんをバカにする人が、たくさんいたんじゃないかと個人的に思います。”死んでから称えられたって何の価値もない!”そんな気がします。何とかならなかったのでしょうか?いつの時代も優れた人は死んでから称えられる、そんな歯がゆさを私は感じます。今もこの場所には美しい田園風景があり、そして真ん中に、この石碑はあります。どこからでも、この石碑が見えるように・・・そしてこの場所から全ての田が見渡せるように・・・!米山新田は今でも蛍が飛び交う素敵な場所です。だけど私は、ここを通る時、何処かに複雑な気持ちがしてなりません。
大きな柳の木の下には、やっぱりカエルが似合います!
2006年05月31日

こちらのカエルを見て、二見の夫婦岩がある興玉神社を思い浮かべる人がいると思いますが、このカエルは全く別物です!すごく愛嬌のある素敵なカエルだとは思いませんか?実はこのカエルは高柳商店街にある物です。なぜ高柳商店街にカエルがと思われるかもしれませんが、それは高柳という名前に由来しています。高柳商店街の高柳とは昔の地名からきています。この辺りには昔大きな高い柳の木があったそうです。ですからいつの間にか高柳と呼ばれるようになりました。かなり古くから”高柳”という地名はあったようで光明寺旧記には、文永2年(1265年)の6月田券に”高柳御薗内”という記述があるそうです。って良くわからないと思いますが鎌倉時代には高柳という地名があったということです。柳の木は切られてしまいましたが、その古株に洗米を土器に盛り稲荷 野狐(豊作を運ぶ霊獣)を祭ったそうです。現在は柳の古株もなく本当に柳の木がどこにあったのかは分かりませんが高柳商店街の第三銀行あたりにあったのではという説があり、そこに柳の木とカエルの石像があります。他にも同じような石像が高柳商店街にはありますので本当に暇な人は探してみてください。
お伊勢さんほど御大社はないが、なぜに宮川橋がない

宮川には明治になるまで橋が無かったそうです。多分必要じゃなかったからだと思いますが・・・この石碑は23号線の宮川大橋付近にあります。何の石碑かご存知ですか?これは磯の渡しの石碑です。石碑によると磯の渡しは江戸時代、宮川にあった三つの渡し(柳の渡し、桜の渡し)の一つで磯町と高向(御薗村)間の地方路線として近在の人々が利用したそうです。昭和27年豊浜大橋の完成によって廃止されたと書かれています。私の父は磯の渡しを知っています。だから無くなってからそんなに古い話でもないようです。伊勢市にとって渡し舟は非常に重要な物であり文化であったようです。だから橋がなくても良かったのではないかと私は思います。
伊勢市には、ずっと一人で町を守ってきた人がいます。
2006年04月23日

伊勢市を一人で守ってきた人!それは松井孫右衛門さんです。孫右衛門さんは伊勢市の宮川堤の人柱になった人です。もしも宮川の堤防が切れたらどうなるか・・・?私には想像もつきません。多分伊勢市は壊滅状態になるのでしょう。宮川は昔暴川で洪水のたびに堤防が切れ人々を苦しめていました。それを防ぐために自らの命をもって人柱になった人!それが松井孫右衛門さんなのです。彼は自ら進んで生きたまま埋められ、そして何日も太鼓を打ち続けたそうです(いろんな説がありますが?)。それ以降この宮川の堤防が切れたことはないそうです。でも人柱の意味とかは私にはどうでもいいことです。ただどんな大雨が降っても”孫右衛門さんがいるから宮川が切れることは無い”と私たち伊勢市民は信じています。そして彼のためにも宮川の堤防がが切れないように私たちはしていかなくてはならないと私は思います。この宮は宮川堤の端にひっそりとあります。基本的に誰も行かないくらいの静かな場所です。今日も孫右衛門さんは私たちに背を向け静かに宮川を見つめています。
